排除の論理
発動編を読むと以下のように書いてあります。
http://welldone.cocolog-nifty.com/akaisuisei/2008/07/post_d6fe.html#more
「情報によると 交差点にある献花台に
ホワイトボードが置かれていて
そこに「アキバデモの賛同者は献花お断り」
とかかれているのだという。
急いで献花台に行ってみると確かに ホワイトボードに
「7・27アキバデモ主催者および 賛同者
四十九日であるこの日にデモを実行するという非礼のため。
そしてホコ天エアガン乱射した人たち
の 献香を固くお断りします」
と かかれていた。
不満を漏らす同志もいたが
僕には
「小さいことをする」
としか思えなかった。
献花台の前には マスコミのカメラもいた。
エアガン事件と結びつける意味不明な点には疑問も感じたが
それも一意見だ。
同志たちには献花をすすめた。
僕は主催者でもあるわけなので 意見に従い手を合わすだけに留めた。
これも この行動により見えたことの一つだ。
僕は 今回 この事件とデモの関連の言及をしてこなかった。
だから ここでも下手に言及はしない。
ただ そうすべきだと思ったからであり
このデモも 「すべき」だと思ったから行うまでである。
一言だけ言わせていただけるなら
「もう二度とこんな事件が起きないようにしてほしい」
という 遺族の方たちの言葉を僕はいつも念頭においている。
ただ このデモや 非礼がどうの、という前に
僕の心の底に 人と争いあうことをやめて やさしい世界を示すことが
それにつながるように思えるから そうするまでである。」
これが、ホワイトボードに書かれているのだと言うからきっと、一オタクが書いたのではないかと思いました。
まさか、秋葉原の商店街の人が書いたのではないだろうし、ましてや遺族でもないと僕は思っています。
区の関係者でもなく、きっと一オタクなのだろうと思いました。
中島みゆきさんの曲の一節にもあるように
「女の敵は、女ではなく男でも女でもありうると言うこと」と同じ事ではないかと思ったのです。
オタクの敵は、オタクでもありうると言うことだと考えます。
しかし、それ以上に、これこそが、「排除の論理」であり、虐げられた人々を作ってきた社会の階層化の思想だと思っていたのです。
映画の中では「アウトサイダー」(「ゴットファザー」のコッポラ監督の青春映画の金字塔)などなどジェームスディーン以後様々な形で、ナイフと少年、もしくは、青年の関係が映画描かれてきています。
その古い教訓を何も生かさずに、市民社会のエゴの結果として引き起こされた事件として「秋葉原通り魔事件」は、注目を集めています。
これは、今の日本の社会の病理として、引き起こされた。
そして、起こるべくして起こったものとさえ考えられ始めている中で、更に、
「排除の論理」の幅を広げていく愚行をなしているとしか思えない心ない人の書き込みとしか思えないと思い、憤りを感じます。
政府も厚生労働省も小泉政権期に広げた格差と派遣労働者のあり方についてこの事件を切っ掛けに見直しだしています。
その中で、デモをする人間、ロックをする人間、フリーターや派遣労働者などなどアウトサイダーや社会的底辺にいる人々の連帯や助け合いや人間味を広げていこうと言う運動やデモを敵対視し、「排除の論理」をする側こそがこの事件の本当の黒幕であろうし、
「自分さえよければ良いという考え」の人であり、自分は、関係ないと考えている有閑的人ではないかと思っているのです。
犯罪や模倣犯そして、精神的に追い込む社会のあり方は、同時に憎まなくてはならないと思っている人々、助け合いの模索は、デモの方向しかないと僕も考えていますので、この「不寛容(イントレランス)」に対して更に、大いなるルルーシュ的な反逆の知性をインターネット上で呼びかけなくてはならないと思っていたのです。
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